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由来からは、少し逸れるかもしれませんが、旧い資料が見つかったり、新たな発見があれば、それを「これも由来」「またも由来」として追加していきます。
はちわうじ
トップページにも記しましたが、八王寺は、かつて旧かな遣い(歴史的かな使い)でこのように表記されていたのです。私たちには、もう発音することも、聞き分けることもできませんが、「王」は、もともとワウに近い音だったようです。そして、その音をそのまま「わう」と表記していました。かつて、漢字が中国から伝来したとき、その発音が-ngで終る漢字は、-uという音に変わりました。東は、tong→tou、陽は、yang→yau→youという具合です。王は、wang→wauになり、現在はouと発音されるようになったわけです。世界のホームラン王貞治氏をワンちゃんと呼びますが、これは、wangをそのまま中国語に近く発音しているのだろうと思います。
現在、私たちは「オー」と発音している下記の漢字も、かつては別の発音、表記だったのです。
「央」「桜」「奥」 | →「あう」 |
「凹」「押」 | →「あふ」 |
「応」「欧」「殴」「嘔」 | →「おう」 |
「王」「往」「皇」「黄」「横」 | →「わう」 |
「翁」 | →「をう」 |
八王寺の形
あまり気にしたことはないのですが、八王寺の地域の形をとりあげます。東西約400m、南北約600m、面積は約10ha(ヘクタール、旧単位では、約10町歩)です。そのシルエットですが、「立ち上って振り向いたウサギ」というのはどうでしょう。
町外の人に、八王寺の位置を紹介するとき、今では、「イオンモール倉敷の真南200m」が妥当でしょう。少し前なら、「クラレ倉敷工場の真南600m」というところでしょうか? 倉敷に不案内の人には、「JR倉敷駅の真西1.7km」 で分かるはずです。ただし、町の中心に位置する八王寺橋までの距離です。
イオンモール倉敷の出店と八王寺商店街の衰退
平成25年度、「八王寺あれこれ」のキッズ版制作のプロジェクトの前準備で、子どもたちに知りたいことなどのアンケートを実施しました。その中に「八王寺の商店街が廃れた理由を知りたい」という要望がありました。それに応える形で用意した「由来」の1つです。実は、ほぼ同じタイトルで過去に準備したことがあったのですが、情報不足で断念していた「由来」です。
イオン倉敷ショッピングセンター(現イオンモール倉敷)のオープンが1999(平成11)年9月21日、その前日にサンエーストアが自己破産/廃業しました、かつて八王寺銀座と呼ばれた八王寺商店街の終焉を告げるような出来事でした。サンエーストアは、カメヤ食料品店、都志食料品店などが合併してできた八王寺発のスーパーでした。ハッピーマート(シュフレ八王寺)と競合しながら、地域の生活を支えてくれました。
それから10余年、案の定、大通りの両側に空き地が目立つようになっています。1997(平成9)年の住宅地図に、当時あった主な店舗を青丸●で示しました、2013(平成25)年8月、その場所に店舗があれば赤丸●を付けました。39店舗→14店舗、6割強が廃業したことになります。もとより、イオンの出店だけが原因ではありません、後継者不足もあったはずです、消費者の行動半径の広がりは地元店舗の必要性を薄めもしました。
そして、それから10年が経った、2023(令和5)年10月、その場所で店舗が続いていれば、緑丸●で現しています、14店舗→8店舗、ほぼ半減です。それでも、その後、更地にあるいは空き家になった場所に、進出した5店舗が黄丸●です。それを加えると、13店舗で、平成25(1997)年当時の店舗数をなんとか、維持しています。店舗を構えないで、看板を挙げないで事業を営んでいる世帯が、少なくとも7,8店舗ありそうですので、実質越えているでしょう。
三宅佐一氏
平成25年度、「八王寺あれこれ」のキッズ版制作のプロジェクトの前準備で、子どもたちに知りたいことなどのアンケートを実施しました。その中に「八王寺出身の活躍した人を知りたい」という要望がありました。それに応える形で用意した「由来」の1つです。
「語り継ぐ中洲・中島」に有名人物という章がありますが、そこには、八王寺出身の人物は出てきません。都窪郡案内誌(大正13年、岡本芳衛著、都窪郡案内誌編集委員会出版)に「郷内在住 重なる人物名鑑」という章があり、その中に「八王寺」出身の三宅佐一氏が紹介されています。
高梁川東西用水組合工事監督 三宅佐一(中洲村)
君は厳君荒太郎氏の嫡男として、明治22年1月生誕す。弱冠土木事業に志し旭川」改修工事を初として、児島郡下津井築港及び朝鮮全羅南道の土木工事に従事す。後大阪日本材木株式会社、伯耆東伯郡製材所等に勤務せしが、今や郷に帰りて高梁川東西用水組合工事監督たり。君嘗て青年団支部長に推され現に衛生委員農区長、自警団長等の各名誉職に就任し村間の信望極めて厚し。実弟は自転車業並びに晒製造に関係す。
こののち、昭和5年~14年まで、中洲村会議員でした(早世されたため、昭和16年、実弟の一三氏が中洲町会議員を引き継ぎ、昭和19年中洲町が倉敷市と合併後は、倉敷市会議員でした)。佐一氏は、八王寺在住の三宅正勝氏の大伯父(祖父一三氏の兄)にあたります。
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