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八王寺あれこれホームページへようこそ! 更新の記録です
このホームページは、岡山県倉敷市八王寺町の小さな歴史をひも解こうとしたものです。
タイトルの「はちわうじ」は、かつて旧かな遣いでこの村がこのように表記されていたこと、町の中心にある八王寺橋(上の空中写真の中心)の石の欄干親柱にも、この表記が刻まれていることによります。私たちには、もう発音することも、聞き分けることもできませんが、「王」は、もともとワウに近い音だったようです。
平安期より徐々に川の堆積作用で海岸線が後退し江戸期の始まる前後に開発され生まれた村、ローカルな史誌にその名をわずかにとどめただけの村、地内に特別な歴史的遺産があるわけでもないフツーの村、八王寺(はちおうじ、はちわうじ)はそんな村です。備中浜街道(鴨方往来)が、東高梁川(今は廃川)を横切る東側に開かれた新田です。東は日吉村、西は川を越えて水江村、南は安江村、北は大内村と酒津村に囲まれた小さな開拓村です。明治になって、八王寺村から周辺村との合併(富久村や万寿村)を経て、大字八王寺に、そして、昭和10年に八王寺町に改名されています。
周辺の村名に比べてちょっと奇しい「八王寺」という名の由来は?、かつての八王寺村は、今の八王寺町と同じもの?、村の境界である鴨方往来をまたぐように賑わった街並みの源は?、などなど・・・、興味深い、ちょっとフシギな町でもあります。
このホームページは、そのフシギを解くよすがに企画されました。すでにこの地を離れていった人々へのメッセージでもあります、今住んでいる人にはこの地を愛する手立てを提供します、いつかこの地に住むであろう未来の人には・・・・
このホームページには、姉妹版の八王寺町内会ホームページがあります。町内会の広報という大事な役目を担います。また、2013年には、八王寺あれこれのキッズ版「キッズ八王寺」ホームページを公開しました。ともに、トップメニューの右端からリンクされています。
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